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信じる力

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  侍ジャパンの信じる力、選手ファースト、チームファーストに感動しました!!    栗山監督の選手一人一人を信じ、任せ、そして見守っていく姿勢は凄いですね。見習いたいと強く思います。 監督の選手ファーストのチームづくり、選手一人一人の能力を信じて声をかけ、選手が力を発揮した結果が優勝に繋がったんだなぁ~と侍ジャパンの舞台裏をテレビで見て思いました。栗山監督の凄さを感じました。 ダルビッシュ選手がリーダーシップを発揮して後輩の指導、結束のためにチームに尽くし、大谷選手がチームを鼓舞して、みんなが全力で自分の力を出し切って優勝。チーム一丸で優勝するって、信じる力は凄いですね。 日本中、世界中が感動しました。未来の野球選手を夢みる子供たちに勇気と希望を与えたWBC優勝、有難う侍ジャパン!!

侍ジャパン、最高です!!

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侍ジャパン、WBC優勝!! 決勝戦アメリカと対戦で、待ちにまった村上選手のホームラン。 ダルビッシュ選手がリリーフ、クローザーは大谷選手。 大谷選手がアメリカのトラウト選手を抑えて、侍ジャパン優勝!! 栗山監督、ダルビッシュ選手、大谷選手、ヌートバー選手の胴上げ、チーム全員の力で優勝を喜びあった姿に感動しました。みんなの力を合わせ、苦しい時、選手みんなが絶対諦めず、みんなが信頼し合って勝ち取ったWBC優勝、侍ジャパン感動を有難う!!

続、次男のこと

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次男は小学生の頃、友だちと外で活発に遊ぶタイプではなく、ゲームなど室内で遊んでました。内弁慶な子供だと思ってました。 中学生になり、勉強を意欲的にして成績が上がってきた頃、先生とのトラブルから不登校になりました。 昼夜逆転の生活になり、アトピー性皮膚炎が悪化して、成績が下がって益々自信を無くし、人間不信になりました。 アトピー性皮膚炎の悪化から手洗い、シャワーが止められなくなり、強迫性神経症になりました。 受験して県立高校入学にしましたが、睡眠障害、アトピー性皮膚炎の悪化で退学しました。中学の不登校が影響していたと思います。 次の年に県立の通信制高校に入学しましたが、なかなか通学出来ませんでした。 少しずつ通信制高校に通学出来るようになった頃、『お母さんの言っている事が解らない』と言われ、発達障害なのかなぁと不安になりました。 睡眠障害、アトピー性皮膚炎の悪化、引きこもりがちの中、集合住宅の上の階の子供達が家の中で追いかけっこする騒音で音過敏となり、心療内科に通院しました。

次男

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生まれてすぐに次男は入院しました。黄疸が出たので先に私は退院しました。 次男が退院した時はホッとして、嬉しかったです。 次男もアレルギー体質で食物アレルギー、アトピー性皮膚炎がありました。 長男と次男の二人をつれ、小児科に通院しました。 次男の食物アレルギーは卵、小麦、米、大豆、牛乳アレルギーで五大食物アレルギーにビックリ、ちょっとショックでした。 母乳とミルクで栄養がとれるので、離乳食はゆっくり始めました。 除去食をして、アレルゲン性の低い米、豆腐などから食べさせ、幼稚園までに食物アレルギーは治りました。 他の子供と同じ物が食べれるようになり、本当に嬉しかったです。アトピー性皮膚炎も酷かったのでよく泣いてました。

母の葬式

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育ての母が三年前に病気で亡くなりました。 田舎で家族のお葬式をする事に慣れてなかったので、親戚の人や近所の人が色々教えてくれました。 葬儀社がないので、祭壇から納棺、帳場、お茶接待、掃除など色々とみんなが手伝ってくれました。 家族は葬式の手続きや連絡、棺桶と骨壷、納棺セットの購入、食事や飲み物の注文、バスの手配、写真、参列の御礼の挨拶状作成などの手続きをしました。 分からない事だらけのお葬式、認知症の父の世話とで、バタバタと三日間があっという間に過ぎました。 新型コロナ前だったので親族、知人、近所の人、多くの人に参列して頂き、母も喜んでくれたと思います。素敵なお葬式でした。関わっていただいた皆様のお蔭と感謝してます。

春節

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中国の春節の大移動のニュースが凄い。 中国がウィズコロナに変わって、行動制限がなくなり田舎へ久しぶりの帰省、親族と大食事会、爆竹、春節はお祭りみたいです。 中国の人口の八割がコロナ感染したようです。集団免疫となるんでしょうか? 中国の経済政策、コロナ対策はビックリする事ばかりです。 日本は行動制限が無くなっても、コロナ対策をしっかりして行動します。消毒とマスク着用はほとんどの人がします。 日本と中国の国民性の違いですね。

父の介護

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認知症の父の介護を三年半くらいしました。 介護中は口喧嘩をよくしました。 ネットで介護の記事を見ると、介護で苦労している人は自分だけじゃないと感じました。 病気になって認知症になる人、年をとってだんだん認知症になる人、家族は親の認知症に戸惑い、生活が一変します。 病気から認知症の症状が出た人の家族のネット記事でびっくりしたのは、病院で病気だけでなく発達障害が判明した事です。家族で兄妹で世話をしていた事は良いことだなぁと思います。 私は一人っ子なので、父自身が私が介護するのは当たり前と思い、父の弟にも色々言われて嫌でした。 父の一番下の弟が近くのクリニックに送り迎えしてくれたり、デイサービスに行くように説得してくれた事は助かりました。 父は認知症を認められず、自分の間違いを認めません。 しょっちゅう服の着る順番を間違い、オムツを忘れたり、ジャンパーを二枚着たり、ズボンを二枚履いたりして困りました。 耳が遠くなっているので、勘違いしてよくカンシャクを起こしました。昼夜が分からなくなって、夜にデイサービスや外に行こうとして困りました。 亡くなる前の三日間はせん妄が出て、家中をうろうろ、フラフラして倒れたりして大変でした。 介護中はうつ状態だったなぁと思い出します。 介護は一人でする事は無理と思います。介護して身体を壊さないよう、デイサービスなどを利用して共倒れにならないように気をつけるべきかなと思います。